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DTMの過去と現在、自分流音楽理論など

DTM

自分が歩んできたDTMというものを少し振り返ってみる【1980年代】

自分が歩んできたDTMというものを少し振り返ってみる【1980年代】

特に何の役に立つ話でもないんですが、自分のこれまでの軌跡的なものって特に残していないので、なんとなくコンピューター音楽的な側面での僕の歩みを記しておこうと思います。同世代の人には懐かしい話だろうし、若い人からすれば面倒な時代だなーとか笑える部分もあるかも知れません。
かなり長いですが、いくつかの時代に分けて書いていきます。

かなり昔話で占められるので、「音楽に過去なんて要らねえ!」という方はそっ閉じでお願いします。(^ν^)

昔のことってそれなりに覚えているものだとタカを括っていましたが、どっこい人間の記憶ってホント曖昧で適当。
しかも、ブログとか日記とか書いてこなかった(過去などいらねえって僕自身が思ってた)ので、昔のデータをサルベージしたり、いろんな断片を集めるのが結構大変でした^^;

こんなのはチラシの裏にでも書いとけよって感じですが、せっかくブログを始めたわけですし、なんか40歳って節目感のある数字だし、ちょっと振り返らせてください。

コンピューター音楽との出会い

はじめてのパソコン

シャープX1turboⅡ当時のカタログ

シャープX1turboⅡ当時のカタログ

僕の人生で初めてDTMという文化(DTMという言葉自体はまだない)を体験したのが、何を隠そうこのX1という8bitパソコンでした。

1980年後半、それまでマイコンと言われていた個人向けコンピュータが、パソコン(パーソナルコンピュータ)という言葉に置き換わるくらいに8bitコンピューターのブームが起こっていたように思います。
当時としてはパソコンという機械にすごい未来を感じたし、そしてパソコンが家にあるということ自体が超先進的でカッコいいみたいな、そんなワクワクする時代だったんですね。
当時小学生だった私は、なぜかコンピュータというものに並々ならぬ興味と憧れを持っていて(当時としてはかなり変な小学生)、ケイブンシャという出版社から出ていたポケット百科シリーズのマイコン百科(うろ覚え)をページがバラバラになるまで(笑)愛読してました。

そして、もう本を読むだけでは我慢ができなくなり、お年玉一生分と進学祝いなど気が遠くなるような先までの小学生が思いつく限りのものを前借り(先払い?)を申し出て、当時最先端でパソコンテレビというキャッチコピーが売りのシャープX1turboIIというパソコンを買ってもらいました。
最初はBASICを結構まじめに覚えようとしてましたが、プログラミングという小学生にはあまりの地味な作業にすぐ挫折。
ほどなく、もっぱらのゲーム専用機に成り果てました。
ある意味耳年増だったというか、パソコンというものに過度に夢を見すぎたというか、コレさえあれば何でも叶う感が凄かったんですよね・・・(遠い目)
(同じ経験をした人結構多いんじゃないでしょうかw)

パソコンゲームといえば、今考えると信じられないくらいいろんなことに大らかな時代だったと思うのが、パソコンソフトのレンタルショップという存在でした。こちとらお子さまなので、それがいいことなのか悪いことなのかの判断などつくはずもなく、ありがたく利用しまくってました。
そのおかげで、子どもには高すぎるパソコンゲームソフトを安価でプレイすることができた本当にありがたい時代でした。

FM音源ボードというなんかカッコいい響き

そうしていろんなゲームをプレイする中で、やがてBGMが内蔵音源では満足できなくなって来ました。
この頃、すでに中学生くらいだったと思います。
いろんな雑誌を見てて、ライバル機(PC8801mk2SRなど)のBGMはいいとか、X1は拡張ボードをつければライバル機よりも良くなるとか、そういうのに一喜一憂しちゃうわけですよ。
もう、お年玉ももらえない、進級祝いも望めない、「親のスネ」というマジックカードを早々に使い果たしてしまった僕は、お手伝い作戦という新しいマネタイズを思いつきます。(稚拙)
まあ、家庭内アルバイト、ですね。

当時としては結構血の滲む努力(労働)によって、念願のFM音源ボードをゲット!!!!
もう今までの音が嘘のような、素晴らしい環境を手に入れることになります。
今となってはまあ当然アレな音なんですが、本当に当時は心底感動しました。なんだこのキレイな音は!!!と。

日本ファルコム(イースやソーサリアンなど)、日本テレネット(夢幻戦士ヴァリスなど)、T&Eソフト(ハイドライドやスーパーレイドックなど)というメーカーのBGMに感化されまくって、それまで音楽は聴くものと思ってた僕が、初めて「音楽を作りたい」という衝動に駆られました。

これ今となっては結構なお宝なのでは?(なわけない)

これ今となっては結構なお宝なのでは?(なわけない)

なんと浅倉大介氏の名前が!

なんと浅倉大介氏の名前が!

なんか前置きというか、DTMに入るまでの話が長いですね(;´∀`)
歳をとると話が長くなるというアレなんですかね。。。いやですね。

でもまあ、書きたいものはしょうがない!(開き直り)

はい、そんなこんなの経緯がありつつ、ここで予期せぬ大ラッキーなことが起こります。
ゲームのBGMをいい音で流したい、そういう動機で購入したFM音源ボード。
そのFM音源ボードに「Visual Instrument Player」、略してV.I.P.というソフトがデフォルトで付属してました。
ネーミングからもわかるようにFM音源ボードの素晴らしさを簡単に体験できるデモ用ソフトです。
しかし、なななんと、自分でエディットできるんです、コレ!!
今で言うシーケンスソフトなんですよ、これが。

CZ-8BS1というFM音源ボードは8音まで同時再生ができるんですが、その8パートをスコア画面をエディットして打ち込みができる素晴らしいソフトでした。
シーケンスエディット出来るだけでもすごいのに、更にすごいのがFM音源の音色エディットも出来たんです!!
当然のごとく、当時の私にはまったく無用の長物といいますか、さっぱりわけが分からず、いろいろ適当に弄ってみたりはするものの、なんでこういう変化するのかがマジで意味わかりませんでした(というかFM音源に関しては今もさっぱり理解していません)。

何はともあれ、このX1というパソコンとFM音源ボード、そしてVIPという付属ソフトによって私のDTMへの扉が開かれました(大げさ)。

生まれて初めての「打ち込み」体験

時を同じくして、ゲーム音楽に傾倒する一方、すでに解散してたBOOWYというバンドにハマります。
それまでゲーム音楽かアイドルの曲(浅香唯のファンでした(*´Д`))がメインだったところに友達が聞いてたBOOWYというロックバンドに矢を撃ちぬかれ、中でも布袋寅泰のギタープレイにメッチャ憧れました。

おなじくらいの時に近所に住んでた幼なじみの友達はバービーボーイズに撃ちぬかれたようで、じゃあいっしょに楽器始めようぜということで、ぼくは迷うことなくギター、その友達はなんとサックス(!)を始めました。
バービーボーイズはそいつからの影響で聴くようになり、自分も好きになったので、楽器構成上バービーボーイズの曲でサックスとギターの練習をするわけですが、エレキギターはともかく、サックスの練習は近所迷惑も甚だしく、苦肉の策として、超早朝(午前4時とか)に自転車で30分くらいの緑地に2人で楽器かついで練習に出かけたりと、今思うとアホなことやってたなと思います。

ギターとサックスだけだとどうしてもリズム感が微妙なので、X1のFM音源でリズムとベースを打ち込んで、カセットテープに録音して、それを流しながら練習するというために打ち込んだのがたぶん人生で初めての打ち込み体験だったと思います。
まあ、メトロノームの代わりくらいにしかなりませんでしたが。。。w

もうね、何が大変って、その緑地に行くのに30分くらいかかる上に、荷物がすごいわけです。
ぼくはギターとアンプ、家にあったでっかい昭和なラジカセを抱えて30分チャリンコこいで行くわけです。
もう着いたらヘトヘトで楽器の練習どころじゃないわけですよw

今となっては、いい思い出ですけどね。

結果的に、DTMへの扉は開かれたのですが、開かれただけで、メトロノーム代わりのしょーもないドラムとベースをプリセットの音で打ち込むだけという、クリエイティブとは程遠い使い方しかできませんでした・・・笑。

1980年代のまとめ

1980年代といっても、後半3〜4年の話です。
ほんと何回「今思えば」とか「当時は」とか使えば気が済むのかって感じですが、いやマジでたかが30年されど30年です。
このあたりの30年ってコンピューター関連の進歩が目覚ましかった頃ですよね。
かなり稚拙なスペックではあっても、この頃としてはそれが一応先端の時代だし、これから先の未来にホントわくわくしてました。
今は逆になんでも手に入るし、スペックもメチャ高いのに、なぜか当時のようなわくわく感をあまり感じないのは自分が歳をとったせいなのか、はたまた世間的にわくわくが飽和してしまっているからなのか。。。(^_^;)

次回は僕の1990年代を振り返って見たいと思います。

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