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DTMの過去と現在、自分流音楽理論など

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自分が歩んできたDTMというものを少し振り返ってみる【シーケンサー編】

自分が歩んできたDTMというものを少し振り返ってみる【シーケンサー編】

さて、無駄にダラダラと自己満足的に振り返った軌跡からのスピンアウト的な感じで、これまで通ってきた「シーケンスソフト」にに絞った話をしていきたいと思います。
そんな古い話に興味はねえ!(# ゚Д゚)
懐古厨乙!ヾ(*`Д´*)ノ”
とか言わず、どうかしばしお付き合いくださいませ。

注)いろいろ記憶が曖昧なところがありますので、間違いがありましたらご指摘くださいm(_ _)m

初めて触れたシーケンサーという存在

1987年ごろ YAMAHA FM音源ボード付属ソフト(X1turboII)

X1 Visual Instrument Player

まずは、僕が人生で初めてパソコンを使っての打ち込みを体験した記念すべきシステムです。
8bitマシンとか、今のPC環境からすればそれはもう非力なんてもんじゃありません。
今や一回りして「チップチューン」とかでジャンル化されちゃうくらいの化石レベル。

それでも、当時は当たり前ですが先進機器であり、すごくワクワクするモノだったんです。
僕が持っていたシャープのX1という機種のサウンド機能は、PSG3音+ノイズジェネレーターという相当チープなものでした。
ファミコンの音といえば例えとしてはわかりやすいかもしれません。
当時で178,000円(本体のみ)もしたパソコンがサウンド面ではファミコンと同じとか泣けてきますよね。
今でこそチープ音源がそれなりの味としてもてはやされてたりもしますが、当時は「ただのしょぼい音」なわけです。

別売りでヤマハのYM2151というチップを搭載したFM音源ボードが発売されており、それを装着すると8和音のFM音源を楽しむことができました。
このYM2151というFM音源チップ、当時のアーケードゲーム基板にも多く採用されており、セガやナムコ、コナミにカプコンなど、ファンタジーゾーンや沙羅曼蛇など当時を代表する印象的なゲームサウンドがこのチップで鳴っていたと思うとちょっと感動しますね。(当時は全くそんな感慨なかったですが・・・)

僕はこの頃中学生とかでパソコンはほぼゲーム機と化してた意識低い系だったのですが、FM音源ボードに付属していた「V.I.P.(Visual Instrument Player)」というソフトが今で言うシーケンスソフト的なもので、このソフトに出会ったことが後の人生に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
(主に趣味的な部分での影響ですが)

8和音(8トラック)とはいえ、プリセットにいろんな音が入っていて、音符を入力するとその音が鳴るわけですよ。
これは面白かったですね。音を視覚的に捉えることを覚えたというか、うまく言えないですが、楽器が出来なくても演奏って出来るんだ、的な。
まだ作曲という概念もスキルも自分的になかったので、バンドスコアの音を入力したりして遊んでました。
スコアの和音を入力して、こういう音(和音)が鳴るんだ〜みたいな確認をしたりを無意識にやってましたが、このへんの体験が後々の自分の基礎になってる(と思いたい)んでしょう。

このV.I.P.というソフトにはスコアエディット機能と、音色エディット機能に加え、作ったデータを再生するプレイヤー機能がありました。
4オペレータの本格的なFM音源部の音色エディットがかなりちゃんと出来る機能があって、僕がもうちょっと大人でその辺りちゃんと理解していたらもっと楽しかったんだろうなと思います。今もなお、FM音源のエディットは全く意味わかりません・・・(;・∀・)。

余談ですが、プレイヤー画面で再生すると、いろんなところが光ったりメーター的なものがあったりとビジュアライズされるのですが、地面的なところからニョキニョキとベロのようなものがもぐらたたきよろしくな動きで出たり引っ込んだりするんですが、あれがどうも気持ち悪くてイヤでしたw
ていうか、アレは一体何をモチーフにデザインされたのか、25年経った今でも謎のままです。。。

V.I.P.動作ムービー(Youtubeってほんまなんでもありますねw)

国民機と呼ばれたPC-9801でのDTM環境の到来

1991年ごろ Roland ミュージ郎付属ソフト(PC-9801RX21)

藤本健著 DTMの原点より

藤本健著 DTMの原点より

FM音源からPCM音源になり、劇的に音がリアルになりました。
そして、マシンも8bitのX1から16bitのPC-9801になり、画面解像度も320×240から640×480になりました。
このミュージ郎ですが、先代のミュージくんというのがありまして、その箱に「DESKTOP MUSIC SYSTEM」と書かれているんですよね。
DTMステーションの藤本健さんの著書「DTMの原点」でも触れられていますが、「DTM」という言葉の起源はこのミュージくんシリーズに書かれた言葉からではないかという話です。それくらいこのシリーズのインパクトは大きかったんですよね。

さてここではシーケンスソフトに焦点を、ということで僕が買ったミュージ郎に付属のシーケンスソフトについて。
X1のV.I.P.との一番大きな違いはマウスを使った操作体系でした。
もちろんPCもパワーアップし、シーケンスソフトとしての進化は当然のことながらあるわけですが、マウスを使ってのオペレーションで一見便利になるかと思いきや、逆に使いにくかった記憶があります。そもそも、マウスというデバイス自体が当時の僕にとってはアヴァンギャルドだったしw

おそらく、音価を選択→譜面に入力っていう2ステップを使い慣れないマウスで繰り返すアクションにまどろっこしさを感じたんでしょうね。
V.I.P.はシンプル極まりない分、今で言うショートカット的にキーボードで全てを操作するので、覚えると速いんですよね。

入力のまどろっこしさを感じつつも、とはいえそこは結局慣れの問題で、それが普通になるまで使い込めばさしてデメリットではありません。
(結局僕はそこまで使いこなせませんでしたが・・・)
ですが、今思えばMIDIキーボードを使わないで行うスコアエディタへのステップ入力といえばこのスタイルが普通なので、当時としてはそこそこ先進的だったんでしょうね。

1992年ごろ カモンミュージック レコンポーザ98(PC-9801RX21)

僕のこれまでのDTM道の中で、おそらく一番使い込んだんじゃないかと思うのがこの「レコンポーザ」というソフトです。
このソフトはとにかく数値入力に特化されていて、音の情報を入力すると楽譜に反映されるというスタイルなんですよね。
たぶん、今の時代のDAWに慣れた人にこのソフトだけ渡されて、「さあ、どうぞ」なんて言われても何をしていいのかさっぱりわからないと思います。

そのくらいパッと見は不親切なインターフェイスだし、マウスなんていうデバイスを使うようなインターフェイスでもないし、かなり尖ったソフトでしたね。
ぼく的に何がそこまで好きだったのかと、改めて振り返ってみると、まずひとつめとして動作がメチャクチャ軽いことが挙げられます。
キーボードの入力レスポンスの速さたるや、とんでもないレベルです。おそらく、今の爆速マシンの反応速度よりも速かったんじゃないですかね。(言い過ぎ?)

次に、リストが上から順に処理を行うので、モジュレーションとかピッチベンドとかも、意外とわかりやすくて、何より特徴的なのはステップタイム(ST)という概念だったんじゃないかなと思います。
今のDAWのMIDIデータで例えばピアノロールエディタで言うと、1拍目と2拍目に4分音符を高さC3で置くとします。
この1拍目の音と2拍目の音は完全な別物ですよね?
その証拠に1拍目だけを選択して10ティック後ろにずらしても、2拍目には影響しませんよね。
これ至極当たり前な動作ですよね?
でもレコンポーザはそういう概念ではないんです。
同じトラック内に配置されている音符は時系列として連動しているんです。
要するに今のDAWはひとつの音のデータを再生される「絶対的な位置」(何小節目の何拍目の何ティックか)で記録されているのに対し、レコンポーザは前の音との距離(ステップタイム)で管理されている、という感じなんです。
(記憶がやや曖昧なため間違ってたらスイマセンm(_ _)m)

それの何がいいの?ってなるかもしれませんが、このステップタイム(距離)と実際に音が鳴る長さ(ゲートタイム、GT)が別に存在するので、ピアノやギターなどの「ちゃら〜ん」みたいな数ティックずらすような表現も、このステップタイムを演奏したい順番にずらしたい数値分入力していけばよく、GT(実際の音の長さ)を揃えればあっという間にギターのストラムが打ち込めます。
ピアノロールでちまちまやるより実はよっぽど速かったりします。

もう一つ個人的に好きだったのは、このSTとGTの概念があるレコンポーザならではなんですが、コードがめっちゃ見やすい。
しかもリストなので、C3とかE3とか見えるわけです。これ楽譜を読むのが苦手な場合は特にわかりやすい。
ぼくはト音記号の5線譜内ならなんとか読めますが、ヘ音記号や、高い音になるとスッと読めません(雑魚)。
なので、音の名前とオクターブが視覚化されているのも良かったところです。
ちなみに今のDAWの場合は、位置が絶対値なので、何かしらの連続データが入ってしまうと、近くにある音でも分断表示になりますよね。表示フィルターとかもあったりしますが、やはりこの相対的な概念でのリスト表示には及ばないです。

なんかこういうこと書くと、メチャクチャ使いこなしまくりで名曲がゴロゴロ生み出していそうですが、ツールに慣れまくることと、音楽的才能とは全く別モノなのであしからず・・・orz

まあでも実際、速さだけで言えばベテランのエクセル職人並みのキー打ちの速さだったと思いますw

そしてプロと同じ機材を使えば同じクオリティになると思ってた勘違い時代へ

1994年ごろ OPCODE Vision(Apple Macintosh LC475)

Studiovisionpro

さて、これまで愛用していた国産PCから、シャレオツな舶来マッスィーンへの移行を試みる時代に突入ですw
調子に乗ってた僕は「プロの○○氏はMacの△△を使っている」といった記事にまんまと踊らされるバカ丸出しっぷり全開。
そんな憧れのMacが我が家に!!!みたいな、ALWAYS三丁目の夕日的に言えば、東京オリンピックで初めてカラーテレビがうちにやってきた!に近い感動がありましたw

個人的な環境変化で言えば、ハードディスクが付いてるぜ!!とか、フロッピーが5インチから3.5インチになった!とか、筐体がカッコいい!!とか、デスクトップ(GUI)ってなにそれオシャレ!とか、マウスにボタン一個しかないよ!オシャレ!!とか、それはまあ浮かれてましたよね。
え?何いってんの??ハードディスクついてるだけで嬉しいの??とナウでヤングな人は思うでしょう?そう、僕の使ってたPC-9801RX21というマシンにはHDD付いてないんです!RX51という上位機種にはHDD搭載されてたんですが、40MB(ギガバイトじゃないですよ?)で+17万円くらい高かったんです。。。そんな時代だったんです。

そして浮かれ気分もつかの間、いろいろと出鼻をへし折られます。
まずOSをインストールしないと起動すらしない、という事実にまずは驚きましたw(そこ!?)
だってHDD環境知らないから、インストールっていう概念自体初めてなんですもん!!
しかもなんとインストールディスク31枚!!!!Σ(´∀`;)
更にシーケンスソフトのインストール、各種ドライバソフトのインストール。。。一体いつになったらソフトが起動するんだろうと真剣に途方に暮れたのはいい思い出です。

ひと通り儀式が済んで、接続も済んで、さあいざ音鳴らそうとしても音鳴らない。というか鳴らし方わからない。。。
前のパソコンではほぼ何の設定もなく出来てたことが出来ないわけです。
右往左往しながら何とか音出せるようになりはしたものの、音色名が出ないとか、大小含めいろんな壁にぶち当たりました。

PC-9801ではMIDIインターフェイスはミュージ郎に付属のMPUボードを使っていたので、1IN/1OUTというシンプルな構成。-
一方、MacではStudio4というMIDIインターフェイスになり8IN/8OUTと一気に増えたので機器のマッピングという概念が出てきました。
今にして思えば別にそんな難しい話ではないんですが、当時はMacも初めてだし、複数IN/OUTのMIDIインターフェイスも初めてだし、そもそも内部システム的にどういう処理をしているのかもわからないしで、結構混乱しまくりました(;´∀`)

さて、数ある選択肢の中でVisionというソフトをなんで選んだのかについてですが、記憶では当時MacのシーケンスソフトといえばMark of the unicorn(MOTU)のPerformerがおそらくプロ御用達なことで有名なソフトだったと思います。
でも何かの雑誌の記事(たぶんサンレコ)でパフォーマーは頭から作っていくスタイル向きで、かつリアルタイム入力で打ち込んでいく人にとっては使いやすいが、鍵盤が得意ではなく、ステップ入力やリスト入力などの場合はMIDI編集機能に長けたVisionが良い、というような内容を見て決めたように思います。
というか、CubaseとLogicはまだ途上段階で実質的な選択肢はパフォーマーかビジョンだったんですよね、たしか。

レコンポーザに慣れた身体でVisionに移行するまで結構かかりましたが、人間何事も結局慣れなんですね。
次第にVisionに慣れていくにつれ、レコンポーザでの打ち込み方を忘れていきます。
今どきのDAWのMIDI編集機能は、すでにこのあたりでほぼ完成形になってたんじゃないでしょうかね。
僕はこのソフトで初めてピアノロール編集というものを知ります。
今まで数値と楽譜のみだったので、音が視覚化されてる画面にめっちゃわかりやすいな〜と感動しました。
もう記憶も曖昧ですが、ピアノロールでの編集に関しては、いまだにこのVisionというソフトが一番良かったように思います。
(多少思い出補正あり)

初めてのMac、LC475は68LC040というCPUでした。
そこから時代の波はPowerPC時代に入っていきます。
そして、このあたりからアマチュアマシンでもaudioデータを扱えるようになっていくんですね。ハードディスクレコーディング、略してHDR。まさに今のDAWの基礎部分ですよね。
当時はMIDI編集機能のみのスタンダード版とaudioも扱える上位版という区分が各ソフトにありました。
MOTU PerformerはDigital Performer、OPCODE VisionはStudio Visionがそれぞれaudioを扱える上位版です。
感覚的には、上位版はプロが使うもので下位版が趣味人用みたいな勝手なイメージをもってました。
現実的に、上位版を使うために必要なスペックを備えたマシンはなかなか趣味でやってる人が手を出せるものではなかったです(ソフト自体も高かった)。

やがてPowerPCも世代を重ね、audioを扱えることがスタンダードな機能として普及し始めます。
僕もその時代の潮流というやつに、まんまと乗っかり、PowerMac7300というPowerPCモデルとしてはなかなかナイスなミドルクラスモデルを買いました。
Visionを上位版のStudio Visionにアップグレードしたかどうかは記憶が定かではないのですが、VisionでリッピングしたCDからAIFFを貼ってリミックスごっこみたいなことして遊んでたのは覚えてますw
バージョンによっては下位版でもオーディオ使えたんですかね・・・?

ここで、オーディオをPCに録音したり、外部スピーカーに出力したりするために必要な機材がまたまた必要になってきます。
そう、オーディオインターフェイスですね。
まったく金のかかる趣味ですよねDTMってw

PCで録音から編集まで一貫して可能なDAW(デジタルオーディオワークステーション)の時代へ

1997年ごろ Steinberg CUBASE VST(Apple PowerMac7300)

CubaseVST box

HDRに関して興味はあったものの、自分的には別に必要ないな〜フフン♪とか思ってた矢先に、とんでもない広告を発見します。
「バーチャルスタジオテクノロジー!!」ババンっ!!!みたいなw
そう、Macの4大(当時)シーケンスソフトの中でもわりと後発なドイツのスタインバーグ社が出していたCubaseというソフトが大型バージョンアップをして、CubaseVSTとかなんかかっこいい響きになりました。ヴイ!エス!テー!ですよw

といいつつ、よそのソフトのバージョンアップなんてまあどうでもいいかな〜と思ってたんですが、なんだか読めば読むほど尋常じゃない物欲が湧き出すわけです。
そりゃそうですよね、外部機器でエフェクトをかけたりミキサーにケーブルいっぱいつないでミックスすることが当たり前の時代に、それをPC内でできるわけですよ。

今どきからすれば、そんなことは出来て当たり前なわけですが、逆に当時エフェクトはアウトボードと言われる外部機材で行うのが当たり前だったわけです。
僕は貧乏だったので、Zoomの1201や1204、DigitechのS100、KORGのAM8000R(これは自分的にちょっと高価)などを使ってました。
それをソフトウェアでやろうとする兆しはその前から確かにありました。DSP拡張ボード系でエフェクトなどの演算処理をそのボードに搭載されてる専用プロセッサに担当させることで実現するわけです。95年に出たYAMAHAのO2Rというデジタルミキサーがあるのですが、そこに搭載されていたエフェクト機能がかなり凄くて、そのDSP(デジタルサウンドプロセッシング)機能のみをお茶の間のマシンにもというコンセプトで「DSPファクトリー」というシステムが有名じゃないでしょうか。

それを、それをですよ?PCのみでやってしまうという暴挙に興奮しないわけがありません。
速攻で乗り換えましたよ、そりゃ。

僕のDTM環境はCUBASEに移行することで、かなり劇的に変わりました。
今までエフェクト含めて全部外部の機材に出していたものが、PCの中で出来るわけですからね。
でも、世の中そう甘くはありませんw
このVST機能をバリバリ使うには、やはりマシンが非力過ぎました。。。
PowerPC604eというプロセッサなのですが、CPU負荷のメーターが常にピークギリギリw。

世の中は次世代G3プロセッサが主流になる中、604eというCPUはもう時代遅れ(とまでは言いませんがVST使用前提で言えば)。
もう、次から次から物入りで困ります(; ・`д・´)
新しいマシンへの買い替えはさすがに無理だしってことで、幸いにも救いだったのが、PowerMac7300という機種はCPUの乗せ換えができたんです。
今のMacでは考えられないんですが、そういうことが出来た時代があったんです。
インターウェアという会社のBooster750/266というCPU換装カードを購入し、延命措置を施しました。

同じマシンでCPUが速くなるっていうのは、まだ自作PCバージンだったぼくの中では結構衝撃でしたw
これに気を良くしてしまったというか、調子に乗ってしまったというか、CPU換装でCUBASE VSTがご機嫌になると今度はオーディオの品質を気にしだすわけです。そんな大した耳でもないくせにw
ここで人生初のオーディオインターフェイス、KORG 1212I/O導入です。
12イン12アウトって、今にして見ても結構なスペックですよね。
この頃、ミキサーはYAMAHAのProMIX01というデジタルミキサーを使っていましたが、KORG 1212I/OのADAT入出力を使いたい一心でYAMAHA O3Dにチェンジ。ていうかね、正気の沙汰ではないですよね。もう趣味の範疇を確実に超えてますよ。完全に機材環境マニアですよw

(参考)1999年時点での所有機材リスト

Computer

Apple PowerMacintosh7300/166 with Booster740/266
Apple PowerBookG3/400

Sequence soft

Steinberg CubaseVST 4.1
Opcode Vision 3.03
Comeonmusic Ortina 1.8

Audio soft

TCworks Spark
Steinberg Recycle 1.7
Steinberg Rebirth 2.1

Synthesizer&Masterkeyboard

YAMAHA AN1x
KORG Prophecy
Roland PC-200mk2

Soundmodule

Roland JV2080
E-MU Proteus2000
Roland SC88Pro
ALESIS DM5

Sampler

AKAI S3000XL
ZOOM ST-224

Effect processer

KORG AM8000R
ZOOM STUDIO1201 x 2
DegiTech S100
YAMAHA FX500
LINE6 POD

Mixer

YAMAHA O3D

Monitor

SONY SMS-1P x 2
SONY MDR-Z600

Other

Opcode Studio4
TASCAM PB-32P x 2
SHURE SM58

パッと見、どっかのミュージシャンか!?って思う機材の数です。
でも注意深く見ると、結構チョイスがスベってるというか、ポリシーが感じられない・・・。
何がしたいんじゃい!っていう感じw

そうそうたしかこの頃、Visionを発売していたOPCODE社がギブソン社に買収されてしまうんですね。
すでにCUBASEマンだったので、そんなめちゃくちゃショックというわけでもないのですが、やっぱりなんか切ない気持ちにはなります。
その後、Visionの開発は完全に終了し、4大シーケンスソフトの一角が無くなってしまいました。

Visionがその後も順調に開発されていってたらどうなってたんでしょうかね。
Mac環境下ではOMSというPCでMIDIを扱うための基幹技術を生み、事実上の標準機能にまでのし上げた技術力があったにもかかわらず、残念でなりません。
まあ、Apple社自体もジョブズ氏が復帰するまではいつ潰れてもおかしくないくらい不穏な状況にあったので、OPCODE社の終焉も致し方なかったのかも知れませんね。。。

2000年ごろ Steinberg CUBASE VST5(Apple PowerMac7300、PowerBookG4)

Cubasevst5logo

順調にCUBASEの機能を享受してたわけですが、MIDIの入力、編集に関してはVisionへの未練がタラタラでした。
これはもう相性なんでしょうね。決してCUBASEが使いにくいわけではないんです。むしろVisionが使いやす過ぎた、というか自分に合ってたんでしょう。
どうにも慣れず、操作面でイライラしながらも、CUBASEはVST5という結構なメジャーバージョンアップを果たします。
機能がどんどん増えていくのは嬉しいのですが、ぼくとしては基本部分もまだ使いこなせていないのに、出来ることが増えることで操作も煩雑になり、なんか次第に曲が出来るスピードが落ちていきました。
そうなると、創作意欲もだんだんと削がれていき、なんかいろいろ億劫になるんですね。
この頃から、道具がひとり歩きして置いて行かれる感覚みたいなものを感じるようになります。
要は時代の流れについていけなくなり始めたんですね(/ω\)ハズカシーィ

とはいえ、ヘタなりに歌ものの楽曲を初めてMIXまでして完成させたのはこの頃でした。
今聞くとミックスめちゃくちゃだし、音もなんかしょっぱいし、曲も稚拙だし(あ、それは今もか)でなかなか違う意味で鳥肌が立ちますが、ちゃんと残る形で完成させられたのは嬉しかったですね。
昔の曲で手元に残ってるのはほとんど全部このCUBASE VSTのver3.5から5の時代です。

もう15年以上も前なんですね。。。(遠い目)

まとめ

2000年頃までの僕のシーケンサーの歩みでした。
ちょっと長くなりすぎたので一旦ここで区切ります。

こうやって改めて書いてて思ったのは、CubaseVSTの登場でシーケンサーソフトからDAWに進化したあたりがやはり一番大きな流れな気がします。
VSTプラグインという規格もこの頃生まれたわけですしね。
今はマシンもソフトも高性能になりはしましたけど、基本部分はもうすでにこの辺で完成しちゃってますよね。

良い道具は使い手のポテンシャルを引き上げてくれますが、そもそも低いポテンシャルにどれだけ良い道具を与えられても結果は変わらないどころか、道具自体を使いこなせずに逆にポテンシャルを下げることにもなる、ということにこの頃の僕はまだ気付かないのであった。。。(続く?)

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